社長あいさつ

弊社の社是は
「頑張った人が報われ、
正直者がバカを見ない会社」

代表取締役社長
福本勝幸

皆様こんにちは、創業者の福本です。
私が初めて一榮工業様を訪問しましたのは、平成17年12月ごろでした。
当時私は小さな請負・派遣会社の雇われ支店長として働いており、この時は東海求人サービスさんという求人広告会社のご紹介でお仕事を頂きに参りました。
最初に頂いたお仕事はハンドル用アルミ芯金の製造とバリ取りでした。当時のアルミ溶解炉はボロボロで、高温で変形してしまったフタの隙間から炎が噴き出し、ドロドロに溶けたアルミが見えており、夏場は50℃近くにもなる工程で、切削油でつるつるの床をハンドル1本1本加工しながらぐるぐる歩き続けるという過酷な職場でした。
そんな職場でしたので長続きするスタッフはほとんどおらず、欠員対応のため毎日毎日会社の営業マンや事務員が作業応援していました。ある日、私が当時のアルミ4号ラインで欠員対応のため作業していると、小柄な白髪の男性が、「おまえ、派遣屋の支店長だろ? 店はどうしたんだ?」とお尋ねになるので、「毎日スタッフが休むので営業所は閉めて営業マンと事務員全員で穴埋めをしています。ご迷惑をお掛けし本当に申し訳ありません。」とお詫びをすると、プイっとどこかへ立ち去りましたが、1時間ほどたって再び現れました。私が作業しながら会釈をすると、私をにらみながら「オマエはエライ!店を閉めてまでウチの現場を手伝ってくれとる。さっき豊田合成に電話しといたから明日行って仕事もらってこい!」とおっしゃいました。その方は一榮工業様の社長様で豊田合成様のエライさんだったのです。
ありがたいことに、それから12年以上経過する今日も続いている豊田合成様とのお取引があるのはこの事がきっかけでした。
お客様にご迷惑ばかりお掛けし、せめてもの償いとしてお仕事の手伝いをしていただけで、褒められるような事ではなかったのですが、この社長様はそんな些細な償いを高く評価して下さったのです。この瞬間から弊社の社是は「頑張った人が報われ、正直者がバカを見ない会社」となりました。
その後、リーマンショックで会社が倒産した際も、再起を目指すも事務所の家賃も払えないほど貧乏な私たちに会社の所在地として一榮工業様の敷地内を貸して下さったり、製造事務所の中に弊社の事務所スペースを与えて下さったり、豊田合成様の仕事で人員不足に陥った際に一榮工業様のスタッフを割いて作業応援して下さったり、私たちにとってはまさに救世主です。
最後に『プラス』という社名は、設立当時の一榮工業様の社長様が名前を覚えるのが苦手な方で、「3文字にしてくれ。」とご要望があり(笑)、いくつかの候補から選んで頂いた名前です。
弊社はこれからも一榮工業様に誠心誠意尽くし、努力を惜しまず結束して頑張って参ります。